和訳ルールのこと・・・個人的思い [雑感]

現在ボードゲームを扱っているショップ、企業の数はかなり増えているが、海外からの輸入ボードゲームにおいては、この和訳の質については、ショップ差、メーカー差があると思う。
某メーカーの和訳に対しては、一時酷評されていたことがあったのも事実。

ショップ、メーカーによって、和訳の作り方は違う。
元のルールをそのままのレイアウトで直訳したもの、自前のレイアウトに直したもの、元の文章に手を加えて直し、簡潔で解りやすい文章にしたもの…。

ルールはゲームをプレイするためにはなくてはならないものなので、基本は原文を忠実に訳すのが望ましい。
が、これも時と場合によりにけりだ。

原文ルールが、冗長に長く回りくどい文章であるなら、簡潔に纏めてくれてある方がかって解りやすい。

メーカーやショップによっては、本当にこのルールで合ってるの?、テストプレイしてみたの?という突っ込みを入れたくなるルールもたまにある。訳したもので、一度でもテストプレイしてみれば、本当に正しく遊べるのか?というのはわかるはずだ。
なので、このボードゲームのルールの翻訳作業というのは、単純に海外小説を訳すようにただ訳せばいいわけではなく、ゲームとして正しく機能するか確認しながら訳さなければ意味がない。

さて、ショップが添付しているものについては訳したショップの財産になる。そのゲームがその店でしか扱っていないものなら尚更だ。
もちろん、複数のショップで扱っているものなら、この和訳の作りで購入店の決め手になることもあるかもしれない。
このショップのルールは読みにくい、とか、説明図が少ないとか、よくよく原文と照らし合わせてみると(あってはまずいけれど)間違えてることが多いとか。

ルールがショップの財産である以上、この和訳を公開するわけにはなかなかいかないのも当然だ。原文は当然同じ物でも、ショップ独自の工夫がされた手間がかかっているルールなのだから。
仮に公開されることがあっても、それはそのショップ(もしくは会社)の厚意(ルールを確認して気に入ったらうちで買って欲しい)であって、それ以外はありえないだろう(もしくはその店での商品としての役割を終えたとか)。

和訳を公開してくれればいいのに、という話はよく聞くが、そういった意見を出す人は、見て面白そうならそのショップで買うのだろうか?なんとなく、結局そのショップでは買わないのではないか?と思ってしまう。勿論ゲームシステムを確認して面白そうなら購入する、というのはあるかもしれないが、ショップ側にとってより大きなメリットがあるのだろうか?。確かにしっかりした訳、読んでみて面白そうなゲームを入れてくれている、という評価は立つかもしれないけれど、そこから先、その店で買うかどうかは別問題。

本なら立ち読みして、面白そうなら買う、というのはあるかもしれないが、おそらく全体からしたら少数派であろう。逆に立ち読みされたことで商品としての価値が下がって(よれてしまったりして売物にならない)マイナスかもしれない。以前TVのニュースでもやっていたが、立ち読みする人の中には書店で携帯のカメラで写真を撮る人もいるそうだが、そこまでいくとある意味窃盗だ。

そう考えると、やはり、ルールが公開されることについてはメリットとデメリットは秤にかけられるべきもので、簡単にショップに対して公開してよ、と要求している人に対しては、?と、首を傾げてしまう。

和訳ルールもただではできない。ショップが作成した和訳ルールにもコストがかかっている。そしてゲームに付けて売るからには和訳に対しての責任もある。

さて、board game geekに代表されるネットのボードゲームサイトには和訳ルールがあがっていることがある。この公開訳は、作成者の厚意によるものだ。ゆえに、仮にどこかに誤りがあっても責任追及するには酷である。勿論正しいルールを挙げてもらうのが一番ではあるが、無償の厚意である以上、最終的に責を負うべきはダウンロードした本人ということになろう。勿論、訳を挙げた人の信頼度は下がるかもしれないが、あくまで厚意で上げてくれているもの、信用できないと思うのなら次に同じ人の訳を使わなければいいだけの話だ。
こういった厚意のおかげで日本にまだ入ってきていないゲームを海外から取り寄せて遊んでみることが出来るのだから、感謝の意こそ持っても怒る気になんてなれない。

日本におけるボードゲーム文化は、まだまだ未成熟といわざるをえない。手軽に楽しめるエンターテイメントとしては、まだまだ敷居、単価共に高い。

これから先、さらにボードゲーム人口を増やしていくには地道な努力が必要で、そのためにも、ゲームを手に取った人が理解しやすい日本語ルールは不可欠になる。日本語版を制作するメーカー、日本語ルールを添付するショップ、それぞれがお互いに切磋琢磨してよりよい日本語ルールを作っていってもらえればいい。

なにげに記事が500件を越えてた(笑) [雑感]

先日で記事が500件を越えた。
といっても、購入記事で随分水増しされているので、実のある記事というのはかなり少なくなるけれど。
それでも500回も記事を書いてきたのか~、と感慨深い。

ボードゲームの認知度 [雑感]

ブログ世界で話題となっているボードゲームの広がりについて少しばかり考えてみた。

が、この命題について、どうも感覚的にずれを感じる。
日本において、ボードゲームは広がっているのか?といえば、答えはイエス。
なぜなら、日本には古来から伝わる伝統ゲームが既に十分遊ばれているから。
プロが存在する、囲碁、将棋、麻雀を筆頭に、花札や百人一首、トランプ、かるた、オセロ、等々、そうそうたるものが遊ばれてきている。これに人生ゲーム、ドンジャラ、黒ひげ、UNOなどを加えれば、かなりの量だ。

おそらく、出題として問いたかったのは、ドイツを代表するユーロゲームや、アメリカのボードゲームが広がっているのか?ということだろう。

これに関して言えば、答えはノー。
が、これは仕方あるまいとも思う。日本においてはヨーロッパよりアメリカの影響が大きく、ゲームもアナログゲームからTVゲームに移行し、その期間が長かったのだから。今は裾野を少しずつでも広げていく時期で、そうそう簡単に広がるとも思えない。

広がっていない要因としては、
①価格が高い
正直高い趣味だと思う。箱物で6000円前後が当たり前のボードゲームにお金を払える人はそうはいない。特に一般流通しているホビージャパンの扱っているものに関して言わせてもらえれば、訳つきとはいえ定価で7000~8000円もするゲームを仕入れてきてどうするつもりなのか?マニアだけを相手にするつもりならいいけれど、一般客を引き込んで行きたいと考えているならありえない価格設定だ。確かに安めのものもあるけれど、それでも他のショップ商品より高く感じる。とあるところで聞いた話によると、為替レートがかなり高めに設定されているため、こんな値段らしいのだけれど、1ドル100円切ってるご時世にそれ以上のレートで定価設定ってどんだけぼってるの?と思う。海外ショップサイトを一度でも見た事があればわかるけれど、どう考えても高いですよ?
②扱っている店舗が少ない
買える場所がなければ当然一般人の目に入るはずもなく。この趣味に貪欲な人はネットを使ってでも調べるけれど、一般の人なんてそんなことに労力を割きません。
③広告がない
もっと一般メディアに露出なくして広がることはない。ネットでの口コミにも限度があるし。
有名俳優とか芸能人がはまってる、みたいな記事がもっと出て来れば一般人にも訴求力があるはずなんだけれど・・・
④過去からのイメージ
ボードゲームというと暗い人(もしくはオタク)たちの遊び、というイメージを払拭できていない。

さて、こうして色々書いてみたけれど、おそらく、これがクリアされても、自分が思うような世界にはならないだろうなぁ。ゲームに入ってくるには段階があるし、好みもある。難度が高いものを遊ぶにはいくつものふるいを越えて行かなければならないし、求める相手はそういったゲームにも対応できる人だから。もちろん、軽めのゲームも遊べるけれど、そういったゲームだけではどうしても食い足りない感が付いて回るから。

現在がんばってるなぁ、と感じているのはアークライトの輸入日本語版(国産品はシステムのパクリ、萌え化が激しく、ちょっといかがなものかと。国産萌えTCGを遊んでる人向けにやってるんだろうけれど、あまりに露骨過ぎる)。日本語化されており、コンポーネントも本国版と遜色なく、かつ値段も随分と頑張っている。ちょっと選ばれているゲームが偏ってる感じはするけれど、これはアークライトの方針だろうか?

何にせよ、ユーロボードゲーム、アメリカボードゲームが広まるには、長い時間がかかるだろう。乗車券の日本語版を出したバンダイは、効果を望んだ割には、やってはいけないコンポーネントのチープ化や販促の手抜きをして、結果ワゴンセール状態を作ってしまったけれど、これからこの業界を担っていこうと思うのなら、そういった小手先の逃げはせず、誠意を持って事業を進めて欲しい。

スタイル [雑感]

ボードゲームの多くは点取りゲームといってもいいだろう。点取りゲームにおいては、プレイスタイルには大きな幅がある。
真っ向勝負で戦う人、常にトップと付かず離れずの位置を維持し、最後に追い抜きをかける、ひたすら下位に潜み終了直前に大捲りをかける、口三味線で周りを幻惑する等々。
こういったプレイスタイルの違いが出るのはボードゲームの面白さの一つでもある。
さて、こういったプレイスタイルにおいて、自分がこういう風にできて、なおかつ強ければいうことないなぁ、というのは、やはり真っ向勝負で勝つこと。スコアボードを常に先行し、他者に並ばれることなく圧勝すること。
これが出来る人は、本当に強いと思う。スコアボードを常に先行する、ということは、常に周りからターゲットにされるわけだから、それをはねのけてなお勝つには、やはりそれなりの技量がないと勝てないはずだから。
逆に、後追いで勝つのも腕がいる。こちらはこちらで点数で遅れている分、どこかでとり返さなければならない。トップに比べればマークは薄くなるとはいえ、トップと同じように点を取っていては、追いつき追い越すことなど出来ない。トップが持ちえない逆転の策がいる。
さて、こういったプレイヤーを相手にする時、どちらの方が相手にしやすいか?。僕の中ではやはり真っ向勝負してくる人だろう。王道を行ってる分、点数の見極めがしやすく、また対処方が見えやすい。また、周りも同調してくれやすい。逆に後追いのプレイヤーを相手にするには、表面上見えていない分を考慮しなければならず、どうしてもやりづらくなる。周りもそのプレイヤーに対する認識具合によって危機感が違うため尚更だ。いかに潜在的トップになりうるプレイヤーであるかを周囲に認識させられるかが鍵となる。

繰り返しになるけれど、ゲームの面白さは人の思考のぶつかり合いにあると思っている。プレイスタイルの違いはゲームを遊ぶ上でのスパイスになる。出会えるならば、それは出来るだけ多くのスタイルの人と遊んでみたい。
固定されたメンバーで遊んでいると、その人の個性がわかってきて、それを踏まえたプレイが出来るというメリットがある。が、逆にゲームがマンネリ化しやすいという欠点もある。相手の力量や性格、嗜好を踏まえたプレイが出来るなじみのメンバーとのプレイは深く潜るような思考の楽しみが。初見の人とのプレイは新しいゲームの可能性と出会えるかもしれない新鮮さが待っている。

人と遊ぶのが楽しいボードゲーム、せっかく手に入れた趣味、広く交友の輪を広げて遊びたい。

ボードゲームとコスト [雑感]

ボードゲームを遊ぶにはコストがかかる。
遊ぶためには、まずゲーム自体を買わなければならない。友人知人が買ったゲームを遊ぶだけなら購入コストはかからないが、代わりに自分から遊ぶゲームを選択することは難しい(買ってきた人に選択権があるし、誰も他人のために買ってあげる人はいないだろう(自分が遊びたくて買うのだから)。また、リクエストしたとしても、それが叶うかどうかは持主次第)。
ボードゲーム自体も決して安い物ではない。カードゲームクラスならそれほど高くはないが、それでもトランプあたりと比べれば明らかに割高で、いわゆるボードゲームなら国産品より明らかに高い(さらにいえば、俗に言う絶版品になってしまえば入手は困難を極め、必然的に更に高くなる)。
となれば、なるべく元を取りたくなるのは当然で、どれだけ繰り返しプレイが出来るかは、大きな問題だ。コレクターであれば、発売される端から購入することもあろうが、世間一般からすれば、そんな人はごく一部のもの。そもそもがかさの大きなボードゲーム、収納するにもそれなりに場所を取るので、いつかは限界が来る。
…さて、少し話がズレた。コストの話だった。
ゲームを遊ぶためのコスト、リソースには何があるのか?
①ゲームの購入費:お金
自発的にであれば必須。概要は先に書いたとおり。自分が率先してとなれば、ほぼ必ず必要になる。高いものもあれば安いものもありさまざま。
②ゲームの収納場所:場所、お金
保管場所と同義。購入した数が少ないうちは意識することもないが、増えてくると意外とばかにならないのがこの保管場所で、世間ではこのために家を建てたり倉庫を借りたりする人もいるくらいだ。まぁ、家や倉庫までいく例は少ないとはいえ、いずれにせよ大なり小なり収納コストはかかっている。
③遊ぶ場所:場所とお金
遊ぶ場所にもコストはかかる。サークルに参加すればより実感できると思うが、場所を使うということはその使用にお金がかかるということ。自宅会であれば見掛け上お金はかかっていないかもしれないが、細かく見ていけばその遊んだ分にはコストが発生している(自宅だってただでは建たない)。
④遊ぶ時間:時間
遊ぶ時間も当然コストになる。仕事ならその時間でどれだけお金をもらえるか?ってトコだけど、趣味の話なんで、この場合は純粋に使った時間。せっかく遊ぶんだから楽しく使いたい。
⑤スケジュール合わせ:時間
1人で遊べるゲーム(そうは多くはないが)ならともかく、多人数で遊ぶにはスケジュール合わせが必要になる。ゲーム会のためにわざわざスケジュールをずらしたりして合わせてくれているのかも、と思えば、相手に不快な思いはさせられない(人道的にね)。
⑥準備時間:時間
何も準備をしなくとも遊べるものなら、これはほとんどコストはかからないけれど、買ったばかりならそうはいくまい。部品を仕分けたり、カードやボードにテキストシールを貼ったりサマリーを準備したりと事前にしておくといいことは多い。そして、当然ながらそれらには準備時間がかかっており、それもコストとなる。ゲームの中には膨大なカードに訳を貼らないといけないことも多い。せっかく準備するからにはなるべくたくさん遊びたいもの。
⑦プレイ時間:時間
当然ながら遊ぶ時間もコスト。参加者がさまざまなことから時間を割いて遊ぶのだから、それはとても貴重な時間になる。

こうして見ていくと、いかにたくさんのコストやリソースを使っていることか。
どんな趣味でもそうだが、コストがかからないものなどない。かかったコストを高いと感じるかどうかはその事に対する思い入れが大きかろう。
僕の中では趣味に対して費用対効果を考えるのはナンセンスだて思っている。
そんなことを考えるのは仕事だけでいい。
逆にそれを考え始めているのなら、その趣味に対し、何らかの不満があるはずだ。趣味に対して不満をくすぶらせていてもいいことはない。不満を打破すべく行動を起こすか、その趣味に対する見直しをしたほうがいい。

最近のダイス(を使った)ゲーム [雑感]

ここ数ヶ月、ダイスを使ったボードゲームを遊ぶ機会が多かった。
ダイスは手軽な乱数発生装置で、ある意味手軽すぎるのと運の要素が前面に出すぎる嫌いがあり、敬遠される要素でもあるが、僕個人としては嫌いではない。そんな中、半年ほどの間に4つほど面白いものがあったので再度挙げてみる。

・ゴッドファーザー
ギャングものながら、ダイスを使ってアクションを4つ実行していく。ダイスは都合4回振るので、ある程度の安定性があり、プレイヤー間の差を小さくすることに貢献している。それでも、ここ一番の時のダイスロールでの悲喜こもごもはよくはっせいするけれど。お金の収支は目次第、他人にも入ることがあるのでダイス目選択は計画的に。
・トロア
ここではダイスには3つの色がある。色毎に意味があり、また使えるダイスの数もプレイの仕方によって増減する。また、他人の振った目をお金で買えるところも新しい手法だ。が基本的に目の大きな方がいいところがあり、過渡期の印象。GEEKでも上位に食い込んでいるので面白さは保障できるけれど、少しプレイ時間は長め。
・ブルゴーニュ
ダイスを使ったタイル獲得配置ゲーム。メインボードを6分割し、それぞれにダイスの目を割り当て、個別ボードにはヘクスマップとなっており、そのマスにもダイス目が書かれている。そう、このゲームではタイルを獲得する、配置する、賞品を売る、ほとんど全ての行動にダイス目が影響する。これだけだと運ゲーに感じるが、ひねりが加えられており、労働者チップを使うことでダイス目を±1できる(しかも複数のチップを使うことが出来る)。また、ダイス目は鉛筆ダイスのように、1~6が並んでおり、1の次は6、6の次は1なのだ。これによりかなり目を調整することが出来る。ダイスを扱いながら、自分の選択する行動によって運ゲーに留まらない戦略を組むことが出来る。これまた手数は1人頭50手強だけれど、4人なら2時間ほどはかかるのでそのつもりで。でも、僕的にはお気に入りの1つ。
・エイリアンフロンティア
ダイスを使った惑星開拓。ダイスは宇宙船であり、目によって出来る行動が変わる。
このゲームにおいてはダイス目の大小は、確かに必要な部分ではあるが、大きい目には大きい目の、小さい目には小さい目なりの使い方がある。また、目を単体で見ることと複数をセットで見ることで上手くバランスを取っており、どんな目が出てもそれなりに戦っていくことが出来るのがすばらしい。また、エイリアンのテクノロジーということでカードを獲得することでダイス目の調整機能を獲得できたりするので、それでもダイス運がないと思う人にはここから手を付けていく方法もあり、今後のダイス(を扱った)ゲーのお手本となりうるかもしれない。効果は全てアイコンで、難しいルールではないので数ラウンド遊べばすぐに慣れる。プレイ時間もほどほど(ゴッドファーザーと同程度)で、遊んだ後の満足度も高い。4本の中ではブルゴーニュの次に好み。

ダイスゲームというと今までは運ゲーと敬遠する人もいたが、ここ最近のゲームはシステムからして目の大小を優先しなくなっているのが特徴だと感じた。目それぞれに何かしら使い道を与えることで目に嘆くことが少なくなっている。それがいいことか悪いことかはともかく、振られた目を使って何とかしていこう、という前向きになれるシステムは好感が持てる。今後もどんどんダイスゲームは進化していくだろう。運と実力が程よく発揮される好ゲームが今後も出てくるといいなぁ。

競技か?遊戯か? [雑感]

ボードゲームは果たして競技であろうか?それとも遊戯だろうか?

この考え方の違いによっては、ゲームに対するスタンスも変わるのではなかろうか?

僕のスタンスは、基本的にはゲームは遊戯であると思っている。
趣味である以上楽しく遊びたいし、勝てばうれしい、負けても楽しく遊べたのなら、また次回の再戦に向けて何か得るものがあればそれでいい。ただ競技面が全く無いかといえばそうではなく、何かしらのイベントやトーナメント、大会(トレーディングカードゲームなんかに多いけど、ボードゲームでもカタンやカルカソンヌの例もある)なんかになればそれは競技だろう。僕の中での区分はそのゲームにに勝つことで栄誉や賞品が出てしまうものは競技であり、普通に遊ぶもの(自宅会やゲーム会)に関しては遊戯だと思っている。

なので普通の自宅会なんかでも競技だと思って参加している人と、遊戯だと思って参加している人が混ざればその考え方には、温度差が当然発生し、場合によってはゲームが面白くないものになってしまうのだろう。

僕の中ではゲームは遊戯であるから、ゲームを通して楽しく遊べればそれで良い。もちろんトップになれればなお良いがそれはゲームを通して努力した結果の付随効果だと思っているので、序盤いくら展開は悪かろうとも、逆に後半になってめぐりが悪く失速しようと、周りにあたることはないだろう。

大概のゲームにおいて巡りがあり、運不運も付いて廻るが、長い目で見ればその日大きく負けても、何処かで大きく勝っている日もある。トータルした時、勝っている量が平均よりも多ければ、他人より少し上手く立ち回れているかな、と思うし、逆であればどうすればいいか考え、自分のスキルを磨くのみだ。

人の考え方はそれこそ人の数だけあるので、何が正しいなんてことはないが、ゲームにおいて常に競技思考でいては肩がこる。少し遊戯的な目線で見ればもっとおおらかに楽しめるのではないかと思う。

勝ち負けは必ず付いて廻る。勝つことにこだわることは悪いことではないが、そればかりでは息が苦しい。どうしてもゲームに対してきつい接し方になってしまう。

ゲームは1人では遊べない。同席してくれる人がいてこそ成り立つもの。自分が勝ちにこだわるがあまり、周囲に不快な思いをさせてはいないか?その点はおおいに自分も考えていきたい。

マナーとして [雑感]

先日ボードゲームを遊んでいた時こういったことがあった。

初プレイのゲームでインストが終わり、ゲームを始めたところ、1、2巡したところで、とあるプレイヤーが腐ってしまったのだ。
本人曰く『これじゃあどうにもならん、勝てる気がしない』と。
まだ始めて数ラウンドのことで、正直なところ唖然とした。確かに、盤面にはそのプレイヤーの得点元たるものはなかったけれど、始めて数ターンである。この後の展開でどうなるかは全く未知数な状態でである。
ゲームによってはそれこそ全4ラウンドなんていう短いものもあるけれど、このゲームがどの程度手番があるかは正直なところ不明(誰かが規定点をとったら終了)だったので、どの程度時間がかかるかもわからない。そんなところでコレである。
そして、なんだかんだでゲームは進み、結局のところその人が勝ってしまった。

よくゲームをしていて序盤からゲームを投げる人がいるけれど、これっていったいどうなんだろう?
ゲームな以上、各プレイヤーの状況は刻一刻と変わっていく。
流れが悪くとも、手を尽くすことで流れが変わることもある。

僕はそのゲームを同席していて、システム上まだまだ手を尽くすことが出来るのに、見た目上のこの投げたプレイに嫌悪した。

以前、ダイスを使ったゲーム『王への請願』を遊んだ時、自分が2手番連続で役なしで、スタートし、その後ダイス数をなんとか増やして最終的に逆転勝利したときのことを思い出した。
その時、同席していた人に最初あんなに凹んでたのに・・・的なことを言われ、なにか申し訳ない気持ちになったものだ。もっとも、その時凹んではいたけれど、勝負を投げていたわけではなく、なんとか挽回しようと頑張っていたつもりだったのだけれど。まわりからは勝負を投げていたように見えたらしい・・・。

ゲームとして、序盤から凹むことはあると思う。が、最近のゲームで、その凹んだ分の挽回ができないかというと、そういったゲームは多くはないと思う。完全情報公開型で、運の要素がないものならそういったこともあるだろうけれど、ほとんどのゲームには何かしらランダム要素、運がからむことがある。そういったところをうまく引き寄せれば勝ちはできないまでも、いい勝負には持ち込めると思うのだ。

ゲームを遊ぶのは勝つためだ、という人がいるけれど、マルチプレイゲームにおいて常勝は難しい。
ゲームに勝つということは負ける人もいるのである。
多人数で遊ぶゲームなら勝者は1人(協力ゲームは除く)。その他は敗者。

勝つことを目標にするのはいい。
が、勝つことが至上である、というのはゲームにおいてはどうなんだろう?
ゲームとは余暇を楽しむものではないのだろうか?
勝つことの喜びを知るには、負けたときの悔しさも知るべきで、ゲームが人と人とが寄り集まって遊ばれるものな以上、勝敗いずれをも受け入れるだけの器を持ちたい。
勝てればうれしい、負けても楽しかった、そう思える自分でありたい。

LCG [雑感]

アメリカのファンタジーフライト社にはトレーディングカードゲームに似たシステムを持つLCGというラインナップがある。
トレーディングカードゲームはTCGとなるのでLとTが違うわけだけれど、マジック・ザ・ギャザリングを代表とするTCGでは、ブースターというパックを買うことで、プレイヤーは自分のデッキを強化していくわけだけれど、LCGはちょっと違う。基本的にコアセットと呼ばれるものを買えば、カードを追加しなくてもそこそこ遊べるのだ。

今日、自分の主宰のゲーム会で、このLCG(今回はウォーハンマーLCG)を遊ぶ機会に恵まれた。
ウォーハンマーLCGはタイトル通り、ファンタジーミニチュアウォーゲームのウォーハンマーが元で、各プレイヤーが選んだ部族のデッキを使い相手の軍勢を倒すのが目的。
カードにはユニットやサポートカード、タクティクスカード、クエストカードなどがあり、各部族の特性を能力で上手に再現している。システム的にも、マジックほどの繊細さはないけれど、リソースを管理し、コストを払い、いかに相手を自分の土俵に乗せて倒すかに焦点をあてている。

今回、僕はドワーフ軍を扱ったけれど、さすがドワーフ持久戦に持ち込めば相手のデッキ切れを誘う戦法(カードが引けなくなったら負け)とかもとれ、面白い。

自分の国力を上げれば使えるカードが増え、クエストにまわせばドローできる枚数が増える。戦場に送り込めば相手軍に攻撃でき、1枚のカードに色々な使い方を提示しておりよく考えられている。

デッキを強化したければ、部族ごとに拡張パックがあるので、無駄に投資しなくてもよく(TCGの場合ランダムなブースターパックを買うか、シングルカードで買う(それなりに高くなる)しかない)、非常に買い手側に優しいシステムだ。

日本ではクトゥルフ物が第1弾で日本語版がお目見えしたけれど、題材が悪かったのか不調に終わったらしく、その後が続いていない。ファンタジー系の、このウォーハンマーや、七王国の玉座あたりだったら、この流れは変わっていたかもしれないと思うと、ちょっともったいなかったような。

なんにしろこのLCGシリーズ。遊んでみた感じ面白かったので、またどこかでローカライズしてくれないかな?

1年経って [雑感]

ブログを始めて1年経った。
まさか1年本当に続けられるとは思わなかったし、これからも何時書くのを止めてしまうかもわからない。
でも、毎日誰かが見に来てくれている人がいる、という事実は、自分の記事を書く原動力でもある。
出来るだけ毎日。可能な限り水増しにならないよう(ここが一番難しい)。出来る限り続けて行きたい。

あい変わらずのゲームの購入量で、遊ぶ時間と買ってる量のバランスは全然取れてなく、なかなか遊んだ記事が載せられないけれど、遊んだ分については順次記事にしたい。
映画も、見る量は多いけれど、記事ではぼかした記事が多い(これには、これから見る人に変な先入観を持って欲しくないのであえてああいう記事にしてる。あくまで僕の観た映画の備忘録的に書いているので)。

まずは1年続けられた。次は3年続けられるか頑張ってみよう。
次の目標は閲覧数100000件かな?