ボードゲームの日本語版は誰のため? [雑感]

ここ数年、ぐっと増えてきたボードゲームの日本語版。果たしてこの日本語版は誰のためになされているのだろう?。
単純な意味においては『ボードゲームを購入する消費者のため』ということであるのだけれど。ではこの消費者とはどんな人達を指しているのだろうか?もしくはどういった人達をターゲットにしているのだろうか?。

ボードゲームという趣味は基本的に接触感染する趣味だと思っている。僕自身も『カタン』から友人知人に誘われて一緒に遊ぶことにより、興味を持った。
一緒に遊んでみたその先にいたる道は当人の興味の持ち様によるだろうが、多くのボードゲームを始めた人は、こうして門戸を開いたに違いない。もちろん、最近では色々なメディアでこうしたボードゲームの紹介を見る機会が増えたので、そういったところからの人も多いかもしれないが。
また、学生時代などにこうしたアナログな遊びを経験し、更に新しい遊びを追い求める人がたどり着いた先がボードゲームだった、ということもあるかもしれない。
このような人達は基本的に遊びに対しアクティブな人達である。自分から情報を集めることをいとわないのでそれなりに知識もある。故に、ネット等の評価というのは、かなり購入時の指針のウェイトが高い。誰かが書いた記事を見て、自分が興味を持ったゲームの評価が低ければ購入候補から外す、ということもあるだろうし、評価が高ければ、そこに、いくつかの越えなければならない障害があろうとも努力しと遊ぼうとするだろう。

さて、過去に日本メーカーが日本語版を出したボードゲームにカタンの開拓者たちと乗車券(チケットトゥライド)がある。この二つのゲームは共にドイツボードゲーム大賞を取る程に評価されたゲームであるが、こと日本において、しかも日本語版が出たにも関わらず、大きなブームを起こすことなく埋もれてしまった(カタンについては、再度(正確にいうと三度目の)日本語版が発売されたので異論はあるかもしれないが)。ゲームとしては非常によくできたゲームであるが、結果、この日本語版発売が成功か、失敗かと言われれば、失敗だったと思っている。

二つのゲームが何故一般に大きく広がることなく収束してしまったのか?という問いに対して、こう考える。

日本において、テレビゲームが登場する以前においては、こういったボードゲームはよく遊ばれていたのだけれど、おおむね双六的なものか、カルタ、トランプといったもの、もしくは麻雀、花札といった賭博要素があるものが主流で、ドイツゲーム的なものは皆無といってよかった。結果、ボードゲームは子供向け、もしくは賭博物という、ある意味偏見が根付いてしまったのではなかろうか。その後、コンピュータの発達によりテレビゲームがどんどん広まり、子供達がそれらに興じるのを見て、更にゲームは子供が遊ぶもの、というイメージが付いてしまった?

また、日本は戦後の高度経済成長期に働くことに集中してきてしまったことから、余暇の使い方が下手、というのもあるかもしれない。これにより大人になってもゲームなどで遊ぶのは悪いこと、のようなイメージが出来てしまったとも思える。

ボードゲームの本場、ドイツでは、仕事の時間がかなり厳しく決められているそうで、残業というのは少ないらしい。結果、家族との時間を大事にする風土がつくられたそうだけれど、まさにボードゲームはそのパイプ役にうってつけだったに違いない。
また、日本は本物を求める国民性を持っている国でもある。品質にたいして敏感で、カプコン、ハナヤマ版カタン、バンダイ版チケットはそういった点から支持を得られなかったのではないだろうか?(カプコン、ハナヤマ版カタンは大幅なデザインアレンジがされてしまい、かつ、原盤で販売されていた拡張セットは使えず、かつ制作すらされなかった。チケットは見た目原盤とあまりかわらないが、カードは薄く、またシートから切り離さなければいけないし、ボードも薄くふにゃふにゃしており、外箱はお菓子の箱みたいで作りがショボかった。)。安く押さえることも重要ではあるけれど、厳然としてオリジナルがある以上、元の品質より下回ってはよい評価は得られない、ということなのだろう(オリジナル版を知っている人達からのネットによる風評被害とも言えるけれど、そればかりではないとも思っている)。

こうした過去を持つ日本国内のボードゲーム業界ではあるこれど、徐々にではあるけれど、ボードゲームの復興の兆しが見えてきたかに見える。
店舗ショップ、ネットショップが増えてきたのはその証だろう。
売場が増えれば当然消費者の目にも付きやすくなるし購入できる場が広がる。
本当なら昔ながらのおもちゃ屋にも普通に並ぶようになるのが理想ではあるけれど、現在の日本においては、まだそこまでは至っていないし、そこまでボードゲーム人口も多くはなかろう。

ドイツボードゲームがこれから日本で更に広まっていくにはまだまだ障害が多い。プレイヤー人口や売場の数をいかに増やし身近なものにするか?、遊べる場をどう確保するか?、はたまたゲーム一つの単価、言語、色々なものが絡み合っている。
これらを一つ一つクリアしていくのが今の段階だ。
状況を劇的に変化させるには何か別の大きな力が必要だろうし、逆にリスクでもある。日本人は周りの環境やマスコミ、風評に流されやすい。何かで大々的に取り上げられると飛び付く傾向にある。こういった手法で裾野を広げることは出来るかもしれないが、一過性で終わってしまうかもしれない。一時期テレビゲームのDSで脳トレが流行ったことがあったが、今ではどうだろうか?
確かに裾野が広がらなければボードゲーム人口も増えないのだけれど、ここで、ボードゲームはつまらない、といった認識を持って離れてしまった人が出たら、それはまた過去への逆戻りになることを覚悟しなければならない。

ゆっくりでも地道に増やしてきたものは揺るぎにくい。輸入代理メーカーにとっては歯がゆい時期ではあるだれうけれど、一過性で終わるか、末長く続くかはこれからの方針にかかっていると思う。

話が逸れた。
日本語版の話。一般ユーザーが海外のボードゲームを手に取るにあたって一番の障害が言語だと思う。
ボードゲームの本場はドイツ。となれば扱われる言語はドイツ語である。英語ならまだしもドイツ語をスラスラ読める人はそうはいない。日本はヨーロッパよりアメリカに影響を受けていたからだ。
英語なら中学から習いはじめるし、人によっては小学生の段階から塾に通っている人もいよう。
が、ドイツ語は違う。ドイツ語を習うのはおそらく、大学でドイツ語の単位を取るときくらいだろう。

何事においても、言葉は重要で、ボードゲームを遊ぶにはルールが読めなければ始まらない。先にも書いたが、ルールが外国語、ましてやドイツ語ではおのずと読める人なんてそうはいない。この敷居を引き下げてくれるのが日本語版になるのだ。
ある人が言った。カードにテキストがあるゲームは訳が貼ってないと遊んでもらえない。
ゲーマーは舶来品信奉するので、日本語版には忌避感を持つことがある(原版を好む)が、一般の人には言葉の読めない、意味の理解できない物に対して忌避感を感じると。
確かになぁ、と思わせる言葉で、ゲームを遊ぶことに対して、別の思考(外国語の翻訳など)を必要とされるものは、遊んでいてもゲームだけに集中できない。そう考えた時、日本語版は非常にありがたい。自分もボードゲームを始めたばかりの頃は、なるべく言語依存しないものを選んで購入していたもので、数年して、慣れた頃にそういったゲームを購入しようと思った時には絶版で後悔したものだ。
言葉の壁というのは大きく、人は読めない言葉の書かれたものに対してはなかなか手を出せない。ボードゲームにいたっては物によってはカードやボードに大量に言葉や、文が書かれていることもあり、読める、読めないでも手に取り安さが全然違う。
そういった観点からみると、この日本語版の存在は非常に大きい。
日本語版ならば一々頭の中で翻訳する必要もなければ(用意されていれば)対訳表とにらめっこする必要もない。遊び安さは格段に向上する。

さて、日本語版が出た時に一番困るのが翻訳間違いである。原盤であれば、そんなことはまずないけれど、日本語版の場合どうしても間違い(誤訳)が出てしまうことがある。
元の言語から日本語への翻訳時に、校正時に、打ち込み時に、等々。人の手が入る分だけ間違いが発生する可能性も上がる。こうした間違いはないにこしたことはないが、もし出てしまった時の対応は重要だ。対応を誤れば、次には買ってもらえなくなってしまうかもしれない。
日本語版を出す、ということは、こうしたリスクと隣り合わせだ。

現在様々なタイトルの日本語版が発売されており、過去作で一定の評価を得ているものの日本語版も出ているが、確かにこうした過去作の良作を日本語化することは重要でニーズもあるだろうけれど、大きなパイがあるかといわれるとどうも疑問だ。なぜなら欲しい人は既に買っているだろうからで、新規購入の数は多くはないと思われる。もちろん、裾野開拓という意味では重要ではあるのだけれど。
日本語版を出すということはかなりの事業になる。ミスは極力無い様にしなければならないし、在庫の問題も発生する。作ったはいいが残りましたでは会社が成り立たない。消費者とメーカーが双方益のあるタイトルに注力して欲しい。

ちなみに・・・僕は日本語版、買いますよ。
遊び安いのが第一。エラッタが出てしまうのは残念ではあるけれど、対応さえしっかりしてもらえれば問題なし。
ただ、言語依存のないものまでほいほい日本語化されるのはいかがなものか?と、思わないではないけれど、やっぱり手に取りやすさが段違いなんだろうねぇ、一般客から見れば。
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TIL

日本語版は誰のため?とのことですが
この記事の内容を見るかぎり
少なくともNimさんには日本語版は必要ないのでしょう。
ですが、Nimさんには必要なくても
他に必要としている人がいるかもしれません。

記事の中にカプコンカタンと
バンダイのチケット・トゥ・ライドが出てきています。
Nimさんには不満のある物だったようですが
私にとっては、ボードゲームに興味を持つ上で
その2つのゲームは非常に重要なものでした。

私はカプコンカタンでカタンというゲームに
初めて触れることが出来て、
こんな面白いゲームがあったんだと知りました。
その時にはカタンで遊ぶのみで
他のボードゲームには触れませんでしたが、
数年後、ボードゲームに本格的にハマりつつあった時に
バンダイ版のチケット・トゥ・ライドが発売され
すぐに購入して楽しませてもらいました。

そういう風にカプコンカタンと
バンダイのチケット・トゥ・ライドに
お世話になった人間からすると
Nimさんに限らず多くのベテランゲーマーの人が
(ある程度、真実ではあるかもしれないけれど)
良い点を見つけようともせずに、
ただ欠点ばかりをあげて
この2つのゲームを批判するのを見ると
なんとも悲しい気持ちになります。

カプコンカタンにしろ、
バンダイ版チケット・トゥ・ライドにしろ
カタンの地形タイルがくっついているとか
チケット・トゥ・ライドのカードやボードが
ふにゃふにゃだったりと
Nimさんのような元のゲームを知っている
ベテランゲーマーの方々からすれば
不満な点が多いのも理解できます。

でも、もしかしたら
カタンのくっついた地形タイルは
ボードゲームに慣れていない初心者でも
簡単に準備ができる上に
ある程度バランスの取れたマップで遊べるようにと
日本語版のスタッフが考慮して
あえてそうしたのかもしれません。
また、難しいルールをわかりやすく理解するために
片山まさゆきの漫画による解説を
作成していたりもしていました。

バンダイのチケット・トゥ・ライドに関しては
確かに紙質が悪かったりはするのですが
当時輸入版の乗車券が6千円くらいだったのに対し
日本語版は手に取りやすいようにということもあってか
定価で3500円程度とかなり安くしたため
仕方ない部分もあったのでしょうし
そのような低コスト化の制限の中で
各プレイヤーごとに列車ゴマを入れられる箱を付けて
収納とゲームの遊びやすさを追求していたのは
かなり頑張っていただろうと私は感じました。

カプコンやバンダイの、
コンポーネント仕様の変更などは
ゲームに詳しい人にとっては
ただの余計なお世話なのかもしれません。
ですが、ボードゲームに馴染みのない人にも
遊んでもらえるようにと、メーカーの人が考え
工夫した結果なのかもしれないと思うと
自分の知っているもの、
求めているものと違うからといって
簡単に否定する気持ちにはなれません。
少なくともこの2つのゲームは
ただ単に和訳を付けるだけで終わるのではなく
ボードゲームがマイナーな日本で
なんとかみんなに知ってもらおう
楽しんでもらおうと日本独自の工夫をした
志のあった日本語版だったと思います。

Nimさんのように、数々のボードゲームショップや
それに留まらず個人輸入までしてしまうような方には
新作以外の、過去のありふれたゲームや
言語依存の無いようなゲームは
わざわざ日本語版を再発売するような
価値は無いかもしれません。

しかし、そのようにボードゲームで遊ぶことに
慣れた人ばかりではありません。
日本語版が発売されることで
昔の私のように、ゲームに触れる機会を
得る人が多少なりともいるのなら
それだけでも存在意義には
十分ではないかと思います。

そして、日本語版が発売されることの一番の利点は
流通量が増えることだと私は思います。
Nimさんが疑問に思っている
過去作の日本語版についても、
どんなに名作であろうとも旬の時期がすぎたら
絶版などで途端に入手困難になってしまうのが
ボードゲームの難点の一つです。
Nimさんのような古くからのゲーマーなら
持っていて当たり前のゲームであっても
新規ファンにとっては、せっかく興味を持っても、
すでに買うことが難しいゲームは数多くあります。
そういうゲームが日本語版化をきっかけに
再び市場に流通することで、そのゲームを
遊ぶことの出来る人が増えるのは良いことです。

もちろん、メーカーやゲームショップからすると
在庫リスクが発生するのもたしかに仰るとおりでしょう。
ですが、だからこそ、ベテランゲーマーの方には
今まで様々なゲームで遊んで得た経験と知識を使って
そのゲームの魅力を多くの人に伝えて
そのゲームに興味を持つ人を一人でも多くし
一つでも多く売れることで在庫でメーカーやショップが
困ることが無いように協力していこうという
気概の強さを見せて欲しいと思います。
by TIL (2012-01-21 01:06) 

Nim

TILさん、コメントどうも。

カプコンカタンはあまりにも変わりようでさすがに購入しませんでしたが、チケットに関してはバンダイ版は広くボードゲームが認知されることを願って購入しているので、その辺はご理解ください(実際バンダイ版は出てすぐに1つ、投売りになってしまってから1つ購入しています)。

以前からTILさんがおっしゃっていたことなので、そういう意見があることは僕も承知しています。
が、ドイツやアメリカの元のゲームを遊んで、日本語版があるなら買ってみよう、といった時に、コンポーネントの簡素化は人によっては逆効果でしかないことがあります。
特に長く親しんでいる人ほどそういった感想を抱かれると思います。
もっともなんの知識もなく購入した場合はそういった差異はわからないんでしょうが、購入するにつれコンポーネントのランクダウンは実感してしまうでしょう。

あと、バンダイやカプコンが現在チケット、カタンを継続していないように、こういった日本語版を発売するに当たって、ユーザーとメーカーの双方に益がなければ意味がないとも思っています。1つ出してみたけど売れないから撤退・・・こういったことが繰り返される方が業界にとって損失です。
継続して発売していくことが出来る環境作りこそ業界にとって大事なのではないでしょうか?

確かに低価格化によって広く広まる可能性もありますが、まだまだこの業界は狭いです。TCGほどの市場は望むべくもなく、コツコツと興味を持ってくれる人を増やしていく方が需要で、それにはもう少し別のアプローチを考えるべきだったのではないか?と思っています。

どちらにせよ、日本語版の発売は歓迎します。外国語アレルギーというのは現に存在しますし、プレイするのに日本語で読めるということほどストレスないことはありません。
ただ、ボードゲームというのはコンポーネントの質も大事だと思うので、あまり無理して質を落とすより少し高くなっても品質の良いもの、長く遊べるものを製作していって欲しい、というのが僕の願いです。
by Nim (2012-01-21 10:49) 

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