考えること、勝利を目指すこと [雑感]

スポーツでもゲームでも、プレイするからには”出来ることなら”勝利を、と願うのは普通の考えだと思う。
誰だって負けるより勝つほうがいいのは当然だ。

さて、ここで一つ問題がある。
勝つことが出来るのはスポーツなら片方のチーム、もしくは個人。ゲームなら(普通のマルチプレイゲームなら)1人ということ。ボードゲームのような多人数ゲームにおいて勝利を掴めるのは1人なんである。その他大勢は敗者になってしまうんである。
これは勝負の世界だから致し方ないことではあるのだけれど、必ず付いて廻るもの。この勝利の美酒を味わうがため、最善手を思考、選択するべく努力をするわけだけれど、これまた一つ問題が。・・・そう、長考問題。

世間では長考反対と謳っているサイトも多い。確かに、無駄に長い長考はゲーム展開が遅くなるし、ゲームがだれがちになってつまらなくなることも多い。
が、全部が全部反対のレッテルを貼るには抵抗を感じる。

思考時間が一概に勝利に結びつくかといえば、そうとは言い切れないが、急かされて打った一手でゲームを落としたら、それはとても悔やまれることだと思うのだ。
だからといって全てを容認するつもりはない。要はケースバイケース。

待ち時間は自分の番の時のための思考時間だと思えば、待ち時間も悪くはない。ゲームの流れは刻々と変化するから自分の番まで考えても無駄、と、よく言う人がいるけれど、いろんな状況を想定して考えておくことは自分の思考訓練にもなるし手番の短縮にも繋がる。結局それが全体に広がれば思考時間の短縮にもつながるはずだ。

確かに、堂々巡りしてしまうこともある。そういったときには思い切りも必要だが、長考してしまう人だって、わざとそうする人はいないはず。最善手を追い求めるがゆえにそうなってしまっているだけ。

長考反対?、少し位いいじゃない。その分自分の手番の手を考える時間が出来たと思えば。遊ぶからにはいいゲームにしたい、その気持ちがあるのなら、共有した時間は良い時間になるはずだ。

追記:ただし、手番まで何も考えずにいて、手番になってから考える人・・・そんな人とは楽しく遊べないなぁ。
あくまで考えうることは待ち時間に考えておきたいもの。無駄に待たせるのはやっぱりご法度だよね。

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